『オリオンの311の星』『横山祖道資料館』管理人profile

【ハンドルーム:松原A 本名::岩澤亮】

【略歴】
・昭和16年、東京渋谷区・代官山生まれ。父が海軍だったため姉兄は横須賀で生まれた。代官山へは母の兄弟が多く住んでいたのと、東横線・横須賀禅の利用が便利だったため越したと思われる。
・昭和20年、空襲のため母の生家のある宮城県大川村長面(ながつら:現・石巻市)へ疎開。4歳から中学までの少年時代を北上川河口の白砂青松の地で過ごす。父の生家は隣町の雄勝町船越。
・昭和31年、大川中学卒業後、地元の飯野川高校定時制大川分校に進むも中退。翌年仙台の高校に入りなおして高校時代は仙台で過ごす。
・信州大学教育学部在学中にアルバイトでNHK長野放送局報道部の“テロップ描き兼坊や”を経験、その種の仕事が面白くて学校中退後、上京して出版社勤務。月刊誌編集長を経て書籍の編集・企画・出版に携わり、200点余の教養書・ビジネス書を出版、その後、現代人の心を後世に伝える編集プロダクション『伝心舎』を主宰、フリーランスライターを経て現在は長野県御代田町の作業小屋で“なるべく自給自足”生活を試みている。

【著書】
『北米インディアンに学ぶアウトドア術』(三一書房) 90分でわかる「宗教」の読み方』(かんき出版)『お父さんのための入門アウトドア』(かんき出版)『自然を楽しむワイルド・クラフト』(農文協)『潜水空母イ40099の謎』(二見書房)『最強の艦隊』(二見書房)など。

【オリオンの311の星】について
・平成233月の東日本大震災により、母校大川小学校の全校生徒108名のうち74名が死亡、行方不明となり、教職員も13名のうち10名が死亡という悲劇が起こり、間垣、釜谷、長面、尾ノ崎というなじみ深い集落がすべて災害危険区域に指定されて、一戸も残さない壊滅状態になった。
・一時は厭世の感にとらわれて世間との交流を一切絶とうとしたが、今できることは大川の記憶をとどめることしかないと思い直し、7月、大川小・大川中の同級生らと語らって、故郷・大川村の追想サイト『オリオンの311の星』を開設して今に至る。
・サイト名の「オリオン」は大川村の形が三ツ星周辺のオリオン座に似ているからで、「311の星」は3.11と亡くなった方々が300人以上(実際は418)という多さをイメージしたもので、大川村で亡くなられた同胞は皆さんオリオン座に集まっておられるという勝手な想像から来ています。ちなみに私もこの世の役目を終えたらオリオン座に行きたいと思っています。

【横山祖道資料館】について
・昭和50年代、縁あって禅僧・横山祖道師の遺稿を出版する機会を得、祖道師の現代日本には例を見ない生き方に畏敬の念を抱きました。祖道師は宮城県登米市登米町の出身で、管理人の故郷大川村とも近くであったこと、出版社の社長が祖道師の修行の場であった小諸市の出身であったことなど、多くの僥倖に恵まれて以下の遺稿集4編を編集出版しました。
  ・『草笛禅師』~横山祖道 人と作品~ (こちらで全頁をご覧になれます)
  ・『我が立つ杣』(祖道師の禅論集)
  ・『草笛禅師歌曲集』(祖道師の詩歌を全収録。楽譜や唄、草笛なども一部収録。こちらでご覧になれます。)
 
しかし、その後間もなく版元が倒産、いずれも重版の機会がなく絶版状態になったため、平成27年2月ホームページ『横山祖道 資料館』を開設、師の生涯を改めて紹介しています。

【横山祖道さん】
 明治40年、宮城県登米市登米(とよま)町寺池の横山家の次男に生まれる。昭和1331歳の時に、曹洞禅の巨匠・沢木興道師のもとへ出家。以後20年にわたる修行の後、突然寺を出て信州・小諸市の城址公園「懐古園」に赴き、公園の片隅で坐禅を組んでは旅人と語らい、草笛(木の葉のメロディー)を奏でては人々の心を慰める生活=修業を22年続けて昭和の良寛さんと評された。

【祖道さんの草笛】
 管理人は、祖道さんの草笛は、円空の仏像、白隠の禅画のように万人の胸を打つものがあると思っています。草笛は子どものころから得意だったようですが、後に旅人に「草笛は「布施」「愛語」「利行」「同時」の四摂法という菩薩の行為で、人を幸せにして自分も一体になるという菩薩行なんです」と語っています。
 歳を重ねて体の衰えが見えたころ、近しい身内の方が「そろそろ引退を考えては」と公園に出向くことをひかえさせようとしたところ、「私の務めに引退ということはない」と真剣に叱ったそうです。

【祖道さんの作歌と作曲】
 出家前の登米時代から自由律俳句に親しんでいたそうですが、後に「安斎桜かい子に俳句を学んでおった当時、桜かい子先生はよく次のことを言われた。『俳句などこんなことやらんでもいいのだけれど、われわれ一度禁断の果を食ったのだからしかたがない。』これに等しいことは芭蕉も語っている……云々」と語っており、出家後、和歌を詠むようになってからは毎日日記のように和歌を詠み、それに曲をつけて楽譜(240)を残しています。


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