『草笛禅師歌曲集』
●作歌/作曲 横山祖道  付/録音編   横山祖道遺稿刊行会編




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目次
A5判上製 歌集205頁 楽譜35頁22曲 60分カセットテープ付き 昭和58年2月 紀尾井書房刊

横山祖道師の和歌と作曲
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 昭和十七年肥後の野にまいり、生れて初めて麦刈りをした私が、麦の根もとに咲いていた草の花を麦と一緒に刈ったとき、痛い腰を伸ばしてこう思いました。
「こういうこと(麦の根もとの草の花が麦と一緒に刈らるるということ)は歌に詠んでもよまなくとも一つの歌ではないか」と。私このことから宇宙人生一切は題しらず読人しらずの歌と申してもよいと。
 ……それでその時私生れて初めて歌を作ったのでありました。
  肥後の野の麦の根もとに何草の咲きゐし花の麦と刈らるる
                       (安泰寺歌曲集第六集所載)
 宇宙人生を題しらずの歌又は読人しらずの歌という方、却って大和の国の人たちには分かりやすいではないか。古今集の題知らず読人知らずの歌は何という題か、何人の歌か、そうしたことはどうでもよい、そこにたしかに一つの歌(実物)さえあったらよいのである。実物が大切なのである。
 ……この記念に一つの歌を作り、これに曲をつけておこう、これが私の歌曲の動機でありました。

 それから肥後の野の麦刈終わったあと、これも思いがけないことでありました。庵の座敷の縁側の上に生れ立ての小さいかまきりがいたのを見たとき
「ああ天地が新しくなった」
と思いました。たしかに今までいなかったかまきりが生れたら天地が新しくなったのであります。私はこのことから
「かまきり生れぬ」
は一つの天地創造の歌であると思ったのでありました。私は次の日も亦縁側の上に生れ立てのかまきりがきていたのを見ました。このとき
「かまきりかまきり生れ立てのかまきり、お前はきのう一度では私がまだぼんやりしていたので、それではいけない。“かまきり生れぬ”はたしかに天地創造の歌だ、それゆえ、それをそうとはっきりきめなくてはいけない。とこれをいいに今日も亦お前は我ためにやってきてくれたのか」
 それでは私はそうきめるよ、とペンをとり日記に次のことをしるしたのでありました。
  きのふ生れ立ての小さい可愛いみどりのかまきりを見ぬ
  けふも生れ立ての小さい可愛いみどりのかまきりを見ぬ
  ふるさとに遠き肥後の野にかまきり生れぬ
  (安泰寺歌曲集第四集所載)
と私はただこう日記にしるしたきりで、天地創造の歌については何も書きませんでしたけれども私はこう思いました。
「一挙手一投足仏作仏行ということは一挙手一投足天地創造の歌であり、天地創造の一方究尽からすれば宇宙人生(万象)は夫々天地創造の歌である」
と題知らず読人知らずの歌と天地創造の歌をふるさとに遠き肥後の野におそわったのでした。
        本書「あとがきにかえて」(横山祖道師遺稿より抜粋)から一部引用


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