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上の2著書を合体して電子版を作成しました。各集をクリックしてご覧ください。 | ||
安泰寺歌曲集 | 北上三郎歌曲集 | 碑のほとりの歌 |
出家前の自由律俳句を含め、安泰寺を発つ昭和32年までの作品 | 仙台での1年間の静養時(昭和32年4月~33年3月)の作品 | 昭和33年4月、長野県小諸市の懐古園に赴いてからの作品(公刊準備中) |
第一集 補注 | 第一集 補注 | ![]() 碑のほとりの歌(上) 表紙 |
第二集 補注 | 第二集 補注 | |
第三集 補注 | 第三集 補注 | |
第四集 補注 | ![]() 登米の自宅の縁側にて |
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第五集 補注 | ![]() 本文の一部 |
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第六集 補注 | ||
第七集 補注 | ||
第八集 補注 | ||
第九集 補注 | ![]() 懐古園・笹薮のもとで |
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第十集 補注 | ||
第十一集 補注 | ||
第十二集 補注 | ||
第十三集 補注 | ||
第十四集 補注 | ||
第十五集 補注 | ||
第十六集 補注 | ||
第十七集 補注 | ||
![]() 安泰寺での経行 |
●電子版『草笛禅師・横山祖道歌曲集』について 【編集の変更とお詫び】
横山祖道師は、心にふれた事柄を詩や和歌に詠み日記風に書き残していますが、その数は膨大なものになります。そのうち祖道師自身が曲をつけて(作曲して)日ごろ口ずさんでいた歌曲が270余曲あります。
それらは五線譜ノートに自筆で記されており、これを複写製版してすべて収めたものが『横山祖道歌曲集』(非売品、昭和57(1982)年刊)としてまとめられています。
翌昭和58(1983)年には、この歌詞や詞書を清書した『草笛禅師歌曲集』が刊行されました。上の電子版『草笛禅師・横山祖道歌曲集』は、前記2種の歌曲集を合体して構成したもので、
①主な歌曲22曲については楽譜と祖道師自身ほかの唄、草笛が♪マークから視聴できます。
②音声が残っていないものは、祖道師の手書きの楽譜が歌の表題の下部から参照できます。
読みづらいものもありますが、折々にご愛唱いただければ幸いです。
●『横山祖道歌曲集』(楽譜集)について 畠山文雄氏の「あとがき」
横山祖道師は出家前の青年時代に俳譜にいそしみ、また草笛は子どものときからの特技で、音楽が大変好きだったようである。昭和17年、熊本市の郊外にある海蔵寺に赴いたときから和歌を詠むことを始め、それに曲をつけて草笛で吹奏し、禅修行の友としていた。
しかし、専門に作曲を学んだこともなく、自作の歌曲をみてくれる人を探しておったようである。昭和24年京都の安泰寺に落ち着くことになり、その翌年25年に京都・鷹峯小学校長であった渋谷光明先生を紹介された。渋谷先生は作曲家でもあり、祖道師の依頼にこたえ、校正と伴奏をつけてくれることになった。
以来、二人の息はぴったりと合い、昭和38年(渋谷先生はこの年2月に死去)まで、十数年歌曲の制作が続いたのである。この間の歌曲は240曲(渋谷氏校正分)に達した。これを楽譜ノートに整理したものが遺作として残っていたのである。
そもそも従来の坐禅は、いかにも理智の坐禅の趣きが強かった。これを“情の坐禅”にしなければならないというのが粗造師の念願であった。もともと禅は言葉でいえない世界である。しかし何か“説”がなければ困る。それで一大蔵経とか、八万四千の法門とか、公案何百則とか、いろいろに言っている。それなら“宇宙風雅(みやび)”のゆえに一つの和歌(みやび)で語る方がよろしい、ということであった。
この歌曲を楽譜集として出版するには、いろいろ困難な事情があり、残された楽譜ノートをそのまま写真版で再生し、祖道師縁故の方々にお頒ちすることにしました。二十数年もたち、ノートが古びて大変読みづらいものになりましたが、ご覧いただき、愛唱いただけたら幸甚と存じます。
●本書の構成
祖道師は安泰寺時代の昭和29年、それまでの詩歌(作曲を含む)の整理を始めますが、それは仙台時代、小諸懐古園時代も続けられ、次の三部作にまとめられました。
一、「安泰寺歌曲集」第一集~第十七集
青年時代の自由律俳句を含め、安泰寺を発つ昭和32年までの作歌が、おおよそ作曲年代に沿って収録さ れています。
二、「北上三郎歌曲集」第一集~第三集
仙台での1年間の静養時(昭和32年4月から33年3月)に作られた作品集。
三、「なむかんぜおん歌曲集(碑のほとりの歌)」第一集~第五集
昭和33年4月、長野県小諸市の懐古園に赴いてからの作品集。