安泰寺歌曲集 第十六集 補注

※1 『我立つ杣』~夢の木序~
 「夢の木」は祖道師が出家してすぐ預けられた津島市(愛知県)の雲居寺(橋本恵光老師)時代(昭和12年10月~13年3月までの5か月間)のノートを整理し、「雲井老師語録」の注解をまとめる予定だった(畠山文雄氏)そうです。その「序」として在家時代の“夕焼体験”を土台に思索を進め、昭和030年正月7日、在家時代の体験と直感を追認する形の「万象離念」「宇宙唯色」の見解を熊本の斎藤宗績翁に書簡で表明したもの。
 「夢の木序」には、次のようにあります。
「今年私どこへも賀状を出さずに了いました。我立つ杣(三)夢の木の註作りに夢中になり、賀状書くのがいとわしくなって、誰にも書かないことにして、年の暮れから年の始めも暗きに起きては坐禅をし、昼は「夢の木」の註を作っていました。そうしたら「宇宙唯色」に到着してしまいました。」

※2 「夕焼け体験」と「雉子体験」
 昭和4年、22歳のころと推測されるが、ある夕べ根山(館山=登米城址)に登って夕焼けと対面、宇宙を直観する。それは“宗教的体験”といえるものであった。(畠山文雄氏)
「――“夕やけは夕やけを知らず、然かはあれども夕やけ也。夕やけ此くの如くんば、万象は一の夕やけの如し。夕やけ美わしきが如、宇宙人生も美わし”と。“万象は一の夕やけの如し”の直感から必ず宇宙風雅論がでることを予想し、その時から“ふるさとの夕やけ美わしきが如、宇宙人生も美わし”の言葉を持っている」(『いろいろ青い草』より)
 そして昭和10年のこと、次の雉子体験をする。
「私、夏近き日、下駄がけで山遊びにゆき、山で坐禅していたら、雉子が出てきて首をしかと立てて物すごく坐禅をにらんだのである。(中略)若し、私がただ山に「立って」いるとしたら、雉子は私を「にらむ」だろうか。いやいや、いち早く逃げるに異いない。
坐禅なればこそ、かすりの着物に、ちりめんの兵児帯、下駄を坐布として、坐布は下駄でも、坐禅なればこそ、雉子がすぐ前にきて坐禅をにらんだのである。確かに雉子は坐禅を人間とは思わなかったのである。これは雉子が私に、坐禅は業を超えた超因縁法のものであることを語ったのである。
雉子の道うことに間違いはないのである。
『谿聲山色』自然は我々の本師であるから」(『成り切ったら成仏』より)


【参考】
安泰寺歌曲集 第十六集 直筆楽譜 (こちらからも直筆の楽譜や音声を視聴できます)
正月七日に(ななくさに)
きさらぎの末
高尾行の
我が旅は 渋谷先生の旅うた(一)
きぬぎぬの 渋谷先生の旅うた(二)
海見つつ 昭和三十年夏の旅うた(一)
ある人のうたに
くるみのわくらば
思いは遠き
二人の歌に寄する曲 (熊本の翁と渋谷先生と)
花のあかるし
動かぬ露よ
丘ゆえにこそ
夕空愛し


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