安泰寺歌曲集 第六集 補注

1 「肥後の野の……麦と刈らるる」および「かまきり生まれぬ」について
 「肥後の野の……」は祖道師が初めて詠んだ読んだ歌で、師のの遺稿には、次のような一文があります。
 昭和一七年肥後の野へまいり、生まれて初めて麦刈りをした私が、麦の根元に咲いていた草の花を麦と一緒に刈ったとき、痛い腰を伸ばして、こう思いました。
   「こういうこと(麦の根元の草の花が麦と一緒に刈らるるということ)は歌に詠んでもよまなくとも一つの歌ではないか」と。私この   ことから宇宙人生一切は題しらず読人しらずの歌と申してもよいと。
 「什麼物恁麼來」という道著もあることであるから、それでその時私生まれて初めて歌を作ったのでありました。
   肥後の野の麦の根元に何草の咲きゐし花の麦と刈らるる
宇宙人生を題しらずの歌又は読人しらずの歌という方、かえって大和の国の人たちには分かりやすいではないか。古今集の題しらずの歌又は読人しらずの歌は何という題か、何人の歌か、そうしたことはどうでもよい、そこにたしかに一つの歌(実物)さえあったらよいのである。実物が大切なのである。
 「なにものかいんもらい」も実物をいうのであって、まさにこの実物は題しらず読人しらずの歌である。このこと私は肥後の野でおそわったのでありました。この記念に一つの歌を作りこれに曲をつけておこう、これが私の歌曲の動機でありました。
 それから肥後の野の麦刈終わったあと、これも思いがけないことでありました。庵の座敷の縁側の上に生まれたての小さいかまきりがいたのを見たとき
「ああ天地が新しくなった」
と思いました。たしかに今までいなかったかまきりが生まれたら天地が新しくなったのであります。私はこのことから
「かまきり生まれぬ」
は一つの天地創造の歌であると思ったのでありました。私は次の日も亦縁側の上に生まれたてのかまきりがきていたのを見ました。このとき
   「かまきりかまきり生まれたてのかまきり、お前はきのう一度では私がまだぼんやりしていたので、それではいけない。“かまきり生ま   れぬ”はたしかに天地創造の歌だ。それゆえ、それをそうとはっきりきめなくてはいけない。とこれをいいに今日も亦お前は我ため   にやってきてくれたのか」
それでは私はそうきめるよ、とペンをとり日記に次のことをしるしたのでありました。
   きのふ生まれたての小さい可愛いみどりのかまきりを見ぬ
   けふも生まれたての小さい可愛いみどりのかまきりを見ぬ
   ふるさとに遠き肥後の野にかまきり生まれぬ (第四集 所載)
と私はこう日記にしるしたきりで、天地創造の歌については何も書きませんでしたけれども、私はこう思いました。
「一挙手一投足仏作仏行ということは一挙手一投足天地創造の歌であり、天地創造の一方究尽は、それを見れば作者の気持ちが分かる音楽家は、たとえ頼まれなくとも、それを正確な音楽(曲)にする義務がある。
 と渋谷先生は、かかる立場に立たれ私の「でたらめな曲」を皆正確な音楽にして下されたのであります。私の歌曲集の曲はかくの如くにして出来たのであります。

※2 昭和17年、弟がミッドウェー海戦で戦死、10月には母・ともが死去。肥後の地で遠いふるさとを思う歌。第二集に
「父母よりも」の歌三首がある。


【参考】
安泰寺歌曲集 第六集 直筆の楽譜や草笛などの音声にこちらかもアクセスできます。
肥後の野の(麦の根もと)
ふるさとを
鷹ケ峯
釈迦谷の
夕暮れに(良寛様の歌)
寒くとも
鷹ケ峯一月
托鉢に(花屋の)
母すこやかに
春の霜
旅人は
托鉢を


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